はじめに
正興村は、「せいこうむら」と読みます
正興と“性交”をかけていて、「性(セックス)で“興”隆する」という意味も持たせていますそれでは今回のお話
ここは正興村という日本のどこかにあるという江戸時代からの文化風習を今も色濃く残す村落
それを反映してか、この村で夏に行われる祭りも「奇祭」と呼ぶに相応しいものだった私の名は貴子(たかこ)
今年で25歳になります
ですが、この年齢(トシ)で小学〇年生の息子がいます
その理由については、1〇年前まで遡らなければなりません私は正興村という某県にある田舎の出身なのですが、その地域は江戸時代から続く風習、特に性に関する文化・価値観を色濃く残す特殊な村でした
それを最も顕著に表現しているのが村で夏に行われる「正興祭(せいこうさい)」かもしれません
正興祭は別名「ふんどし祭り」とも呼ばれ、というより今ではそちらの名前しか知らない村人の方が多くなりました正興祭は村最大のイベントとして、村人全員参加を条件としており、且つ、村人の老若男女問わず総てがふんどしのみの着用が義務付けられています
しかも、そのふんどしというのが通常のふんどしとは異なり、荒縄に前部に小さな布を垂らしているだけという、良く言えば質素、悪く言えば粗末なものです
江戸時代の村人はそのようなものしか用意できなかったというのが理由らしく、当時の村人の貧しさが窺い知れるというものですそのような村のお祭りに参加するようになって数年
私は〇学生になってました
「お尻丸出し」「胸露わ」の格好に恥ずかしがる子もいましたが、私はこのお祭りが楽しみでした
何故って?
それは、村の出身者で中学生以下の子供は出店の商品は飲み食い・遊びは全て只(ただ)だったからです
村の中でも私の家は貧しい方だったので、「この時ばかりは」といっぱい飲んで食べて遊びましたそんな最中に、村長さんに呼ばれたんです
「直会(なおらい)」という行事があるとかで・・・直会(なおらい)とは、
神事、今回の場合、「お祭りの後に行われる打ち上げ(宴会)」のことだそうで、「また美味しいものが食べられる」と喜んで行ったものの・・・そこに居たのは村長をはじめ、三人の男たち
一人は、村長の息子の道久(みちひさ)という男
ですが、村では悪い噂が絶えず、陰では道久の訓読みの「どうきゅう」をもじって“DQN(ドキュン)”と呼ばれていたりしていました二人目は村長の次男で鎮平(しんぺい)
この男は私の小学校時代の先輩にあたる人なのですが、「根っからの不良(ワル)」との評判でした
この男も、陰では鎮平の訓読みで“チンピラ”と呼ばれています
少し前、この男に交際を求められましたが、悪い評判もあって断った記憶があります三人目は五満(ごみ)という男です
五満は所謂“よそもの(村外の出身者)”なのですが、数年前に村にやってきて村長さんの会社の社員さんをやっていましたが、小学校の教員免許を持っていたということで村の小学校で先生をしています
五満先生は、村に来る以前は、婦女暴行の常習犯で、前の学校をクビ(懲戒免職)になったからこの村に来たという極悪人でした
私も小学校に通っていた頃はいつも五満先生のイヤらしい視線を感じてました「や、やめてください!」
村長さんは私が部屋に入った途端、いきなり私を畳に押し倒し、私のふんどしを剥ぎ取りました「気持ち良ぉしてやるから、大人しゅうせい」
村長の一言に私は怖くて抗う気も失せました
そして、
「い、痛い!」
私の膣内(なか)に村長の長くて太くカタくなった肉棒が押し入ってきました
この前に村長の巧みで老獪なテクニックでクンニされて、人生で初めての絶頂を味わい、私の膣肉は緩んでいましたが、それでも体が張り裂けるような激痛を受けました
村長さんは、私が泣こうが喚こうが気にせず激しい腰使いで私の膣内(なか)を出入りしながら、
「やっぱり若い女子(おなご)はシマリがあってえぇのう~♪
鎮平、えぇ子を見つけたのう」
私たちの後ろで私たちの交合を見ながらシゴいてるのが鎮平です
鎮平「ヘへへ、だろ?
処女は親父(村長のこと)のために“とっといた”んだから、小遣いの上乗せは頼むぜ
それと早く終わってくれよ、次は俺の番でいいよな?」五満「ちょっと待ってくださいよ、坊ちゃん
彼女(私)に目を付けてたのは私だって同じなんですから
次は私でしょ?先生(村長のこと)」道久「オイオイ、ちょっと待て!
長男の俺を差し置いて抜け駆けはナシだぜ
次は俺だよな?親父!」村長にレイプされた後、この三人にマワされたのは言うまでもありません