【懐かしの昭和】絶滅したはずのまな板ショーと愛の小部屋を今も続けるストリップ劇場
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Sambaで町おこし(https://www.iwara.tv/video/Ry6KIexXtlLcGL/hs2samba-de) の第3話であり、
前回(https://www.iwara.tv/video/FFxDAmgXwSbgcx/caution-silent-for-the-first-30-seconds30) の続きになります
今回登場する「まな板ショー」と「愛の小部屋」の小部屋」について少しだけ解説
1,まな板ショーとは?
「白黒ショー」と呼ばれる男性プロダンサー(もしくは踊り子の恋人または旦那さん等の関係者)を相手とするセックスショーではなく、「with audience participation(観客参加型)」と英訳したように、「踊り子と観客の一人が盆(舞台)の上で他の観客の面前でセックスする」のである
現実にあったまな板ショーの手順は大まかで次の通りになります
1)まな板ショーへの参加を促すアナウンスが流れる
2)参加希望者が複数の場合、踊り子の相手をじゃんけんで決める
3)じゃんけんで勝った客は、靴を脱ぎ盆に上がる。ズボンは自分で脱いで座して踊り子の登場するのを待つか?脱がしてくれる踊り子さんもいる。この時、上は脱がなくてもいい(但し、上着は脱いだ方がいい)
4)客は仰向けになり、踊り子さんにゴムを被せてもらって(ここが私のまな板ショーと一番の違い!)、ゴムフェラ若しくは手コキで勃起させてもらいます。この時、(ゴムフェラや手コキで)イってしまう客もいますが、その際はそこで終了となります。
90年代の時点で都市部のストリップ劇場ではまな板ショーはほぼ壊滅状態になっていて、代わりにゴムフェラで客をイカせるようになりました。この演目を「ピンク板」というそうですが、私の通っていた地域のストリップ劇場では「ピンクサービス」と言ってました
5)踊り子さんが客のチン〇が十分にカタくなったと判断したら、客の目の前で仰向けになり、脚を開きます。合体OKのサインです!
客は踊り子に覆い被さり、自分のペースで腰を振ります。この間、他の客は一切声を出さないのが暗黙のルールとなっています。この時、BGMは流さないか、流してもムード調の曲が微かに聴こえる程度の音量で、場内を支配するのは、客の腰の打ちつけるパンパンという肉のぶつかり合う音と客の息遣い、たまにアンアンとあえぎ声を出してくれる気の利いた踊り子さんも稀にはいるみたいです
6)客「う=っ!」という短いうめき声と共に腰の動きも止まると、踊り子さんは覆い被さる客をどかせ、客のちん〇からゴムを引き抜き、客席にいる観客に見せます
7)事を終えた客がズボンを穿いて降壇すると、そのままついさっきまで客の収まっていたまん〇を客に見せつけるオープンショーが始まります。
8)オープンショーで踊り子がステージを一周した後、拍手と共に舞台裏に引き上げると、次の踊り子が登場するというのが一連のながれになります。
「生板ショー」と呼ばれることもあります
2、愛の小部屋とは?
まな板ショーでじゃんけんに負けたり、盆に上がる度胸や勇気のない客用に、「踊り子と本番できる別室」のこと
但し、私がストリップ劇場の通うようになった90年代初めには、このサービスも存続はしていたもの、まな板ショーがピンク板に変わったように、サービス内容も本番ではなく、フェラ(でイカせる)に変わっていました。
従事する女性も踊り子さんではなく、それ専門の女性が常駐するようになっていました。
私がこのサービスを始めて体験したのは今は亡き大阪の十三ミュージックで、その時の敵娼となったのは、ベテランと呼ぶに相応しい妙齢の女性でした。この時はゴムフェラではなく生尺だったこともありますが、素人ではできないテクニックですぐにイカされてしまいました。ゴムフェラでなく、生尺だったことにプロ意識を感じさせたことや、当時の大阪は、ソープが壊滅した直後ということもあり、行き場を無くした大阪のソープ嬢たちは、滋賀(雄琴)や神戸(福原)などの他地域のソープ街に流れるか?事情により大阪に留まるしかなかった嬢は、他の風俗に転がるか?しかなく、このお姐さんも後者なのだと後になって思いました