私の名は桜井桃子
ソープ嬢だった私が太平洋に浮かぶ離島、「天島(あまのしま)」で海女をするようになって早1年が経ちました天島は漁業が主な産業で、特にアワビ・サザエ・わかめ・テングサが豊富に採れることから海女漁が今でも盛んに行われている土地です
ただ、天島の海女漁は非常に特殊で、今でも昔ながらの漁法を頑なに固執しています
海女漁の歴史は古く、8世紀中頃に編纂された「万葉集」に海女を題材に詠まれた詩(うた)があり、(海女漁は)少なくとも1300年以上の歴史があるといわれています
そして、当時行われた漁というのが、女性による素潜りによる手づかみで採取し、女性たちは腰巻のみを着けるという出立(いでたち)でした
それを令和の今の時代でも続けていたのです
ただ、そんな天島の海女漁にも数年前、技術革新とも呼ぶべき転機が訪れたのです
国内有名水着メーカーであるHAMEXと天島観光協会・漁協・海女組合との共同開発した防砂用前張り“Mae Bary(メイ・バリー)”の登場です
これにより、腰巻の水中での抵抗から解放されたことにより降下・上昇がスムーズになり、作業効率が向上したことに加え、長年海女たちの悩みの種であった膣への砂や異物の侵入・感染症・生理時の煩わしさの問題も一挙に解決できたのです
更にこの前張りは本来は天島の海女のため、HAMEXが開発したものですが、HAMEXのキャンペーンにより一般の女性たちが水着の代わりに付け始め、新たなファッションとして浜辺を彩ることとなったのです
これに限らずMae Baryの高い機能性と密着性はビーチバレー選手たちにも受け入れられ、スポーツにも活躍の場を広げていったのでしたここで登場人物の紹介
1、千恵
本名;末浦千恵
年齢;29歳
4年前、平凡だったはずのサラリーマンと結婚し、何不自由なく暮らす専業主婦だったが、夫の実家は離島ではあったが、基は網元(漁業権利者)という島の実力者であり、実権は喪失したものの、今でも漁協の組合長を歴任するなど実質的な島の頭領的存在だった
そんな舅が病に倒れ、長期入院を余儀なくされたことから、夫は島に帰り、家業を継ぐこととなり、千恵も妻として島に行かざるを得なくなった
しかし、島に到着後、姑の口から出た最初の言葉は、
「末浦家の女は代々海女になるのが掟」
だった
その言葉に従い、千恵の海女修業が始まった
しかも、天島の海女は腰巻一枚の出立(いでたち:様相)を呈するのである
更に、漁の期間中は海女は朝起きて寝るまでその姿で生活するという
勿論、街中や人前でもである
さすがに最初は恥ずかしさを隠しきれなかった千恵だったが、慣れとは怖いもので・・・最近は千恵自身の努力もあり、海女組合の組合長に抜擢されたり、去年第一子である長男を授かるなど、私生活も充実してきた反面、海女業や家事・子育てに忙殺され、夫との夫婦生活は疎かになり、欲求不満は募るばかり
2、隆
千恵の夫
年齢;30歳(千恵より1歳上)
元は某電気メーカーに務めるエンジニア(技術系サラリーマン)だったが、実父の病気により故郷の島に帰郷し、漁師をする傍ら若くして島の漁協の専務理事や若衆のリーダー的存在となるなど忙しい日々を送るちなみに天島の海女漁は基本船舶を使用した夫婦海女と呼ばれる漁法である
舟で沖に出て、女(妻)が潜水し、獲物を採り、男が操船と命綱を担当する
命綱と呼ばれるだけに危険が伴うため、命綱を担当するのは専ら男の身内(親兄弟)となり、その中で女の夫が多かったから「夫婦海女」と呼ばれるようになった天島の海女漁は基本、舟の所有者である男とその妻の二人組が基本であるが、女にパートナー(舟の所有者)がいない場合は、舟に便乗して漁を行う海女も多い
現時点で、隆の舟で漁を行う海女は千恵の他に、千恵の指導を受けた桃子と斎藤母娘(俶子・恵美、後述)の計4人である3,斎藤俶子
去年天島に移住してきた
恵美の母
年齢;39歳
海女にはなったものの、泳ぎは元々得意ではなかったことや、年齢のハンデもあるため漁獲量は最下位争いしてるレベル
本人は美人とは言い難いが、島一番と称されるほどの爆乳と巨尻を持つ豊満熟女で、バツイチというこもあり、老若問わず彼女を狙ってる男衆は多い4、恵美
俶子の娘
現在15歳(中学は卒業済み)
元々は明るく活発で小学校からスイミングスクールに通っていたスポーツ少女だったが、両親の泥沼の離婚劇を傍で見せられたことにより、引きこもりとなってしまったが、ある日、天島の海女漁がTVで紹介されていたのを偶然見たことで海女に興味を持ち、天島で海女になるために天島への移住を決意する
元々水泳の経験者だったことから潜りの技術は同年代の少女たちを大きく上回り、海女歴2年目の今ではベテラン海女たちと漁獲量を競い合うまでに成長し、「未来の海女頭(組合長)」との声も聴こえ、周りの期待も大きい